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森 達也 a 映画

森 達也(映画監督)#2 そもそもメディアは人を傷つける。その覚悟がなければやるべきではない 昨年11月に3年ぶりとなるドキュメンタリー映画『i -新聞記者ドキュメント-』 (1) を公開した森達也さん。. 森達也監督が証言 「学術会議の任命拒否はマッカーシズムやカンボジア大虐殺のよう」 記事によると. 森達也監督の最新作『fake』を見れば明らかだが、この監督の撮り方は、明らかに取材対象に肩入れして撮ることに特徴があります。 『FAKE』では、聴覚障害を持つ作曲家、佐村河内守氏を追いますが、映画内で、「自分は佐村河内氏を全面的に信じている. 森達也・安岡卓治 『a2』 現代書館、年4月10日。 isbn。; 森達也 『a3 上』 集英社〈集英社文庫〉、年12月20日。.

(C)「i –新聞記者ドキュメント-」 ──森監督自身もメディアそしてジャーナリズムに携わる人間の一人、「フリーランスの映画監督」として官邸会見取材の可能性を模索し、国会議事堂前の警察官らへ疑問を投げかけるといった行動をされました。 森:望月さんは「記者クラブ」という報道の世界におけるオールドファッションなシステムの内部で闘い続けているわけですが、僕はそのシステムを外部からぶち壊せないかなと考えたんです。 もちろんオールドファッションではあっても、意味があれば尊重すべきです。でも弊害のほうが大きくなったのなら止めるべきであり、「なぜ止めないのか」とメディアは問うべきです。当然とされている「前提」を常に疑うべき。なぜならこの国では、「慣例」や「申し送り」が意味なく保持されている場合があまりに多い。そして権力性を帯びやすい。 (C)「i –新聞記者ドキュメント-」 ──「慣例」と言えば、官邸会見取材のための申請書類を作成する場面にて、記載が不可欠とされる「報道実績」に映画ならびに映像が含まれない事実を知った時は驚きを隠せませんでした。 森:映像に対しての意識が低いと思わざるを得ないですね。そもそも官邸記者会見は内閣記者会によって主催されています。官邸は場所を貸しているだけ。ところが官邸広報に対して最初に申請を行うことを強制される。記者会が最初に審査すべきです。その後に場所を借りている官邸に記者会が結果を通達する。論理的にはこれで事足りるはずです。いったい誰のための記者会見なのか、その捩れがこんなところにも表れている。 ──そうした時代錯誤な「慣例」が現在も続いている理由や原因を、それに直面した森監督自身はどうお考えでしょうか。 森:理由は単純です。何も考えていないから。それだけです。. (C)「Fake」製作委員会 年に本作が劇場公開された際に話題となったのが、「誰にも言わないで下さい。衝撃のラスト12分」の宣伝コピー。 初公開から年月が経っていることもありますので、ここではその詳細を記します。 それでも知りたくないという方はご注意ください。 このラストの一連の流れについて、森はいつ終わるか分からない取材を半ば強引にエンディングにするために、「ほとんど苦し紛れ」で提案したものと述懐。 また、ラストでの森の問いかけに、佐村河内がどう答えたのかという国内外のメディアの質問に対しても、「何と言ったか忘れてしまった」と煙に巻いています。 佐村河内自身も、森の提案はある程度想定していたと明かしています。 「佐村河内守に対する様々な疑惑が明かされるのでは」という期待で本作を観ても、結局はどこまでが真実で、どこまでが嘘なのかが曖昧なまま終わりを迎えます。 しまいには、豆乳を飲み干す日課も、時おり挿入される佐村河内の飼い猫の映像も、そして愛情あふれる夫妻の姿ですら「仕掛けられた」事なのかと、何から何まで疑ってしまうかも. com ニュース第32回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門に出品された.

(C)「Fake」製作委員会 本作監督の森達也は、かねてからメディアの“二分化”に異議を唱えたドキュメンタリーを撮り続けています。 善と悪、白と黒、右と左、プラスとマイナス、そして真実と嘘といったように、メディアは物事を分かりやすく2つにすることで伝える――そうすることで生まれる弊害に、警鐘を鳴らす森。 オウム真理教について大半のメディアが、「麻原彰晃に洗脳された危険な宗教団体」、「凶悪な殺人集団」というイメージしか与えなかったのに対し、森は『A』、『A2』で、信者自体は素朴で純粋な人間であるいうことを露わにしました。 要するに、そうした純粋な人間がなぜ犯罪を起こしたのかを考えるべきだと、主張したのです。 その森が今回選んだ被写体が、ゴーストライター騒動で悪評が付いた作曲家の佐村河内守。 森と佐村河内のやり取りは、基本的に森の質問に対し、佐村河内の妻の香が手話で伝達するという形式で進行。 ただ、佐村河内の耳は全く聞こえないのではなく、聞こえる音と聞こえない音があり、体調によっても聴覚度合が変わるという感音性難聴です。 つまり、「耳が“全く”聞こえない作曲家」という分かりやすい紹介にしてしまったメディアの弊害が、ここでも表れています。 本作では、嘘つき呼ばわりされた佐村河内の日常を通し、現状メディアの在り方を問います。. 。 ただ、森が過去作で示したように、真実と嘘(FAKE)は明確に二分化できるものなのか、その解釈は観た者次第。 そうしたことを鑑みても、本作『FAKE』は、ドキュメンタリーではなく「森達也映画」というジャンル分けをして観るべき作品なのかもしれません。 最後に、森が『FAKE』のパンフレットに寄せた文章を引用します。. (C)「i 森 達也 a 映画 –新聞記者ドキュメント-」 ──本作は東京新聞社会部に所属し、自身のジャーナリズムを全うしようとし続ける新聞記者・望月衣塑子さんを中心に進んでいきますが、彼女を取材し続けた森監督の目から見た望月さんの“強さ”と“弱さ”とは何でしょうか。 森:彼女はそれほど強くないですよ。周囲を気にしないことが結果的に“強さ”に見えるだけであって、撮影の途中でも、「これをやったら会社に迷惑をかける」と思い悩む瞬間を何度も目撃しましたから。. 年10月2日時点のオリジナル リンク切れ よりアーカイブ。. See full list on cinemarche. 森達也が監督を務めた「i-新聞記者ドキュメント-」が、明日10月9日から15日にかけて東京・新宿ピカデリーで上映。劇場初公開の再編集.

(C)「i –新聞記者ドキュメント-」 ──はじめに、本作の制作を開始される前の日本のメディアや報道に対する印象をお聞かせ願えませんか。 森達也監督(以下、森):そもそも僕はテレビの出身です。オウムの映画『A』はテレビで放送される予定で撮り始めたけれど、最終的にテレビから排除されて映画になった作品です。その後に映画と並行して本を書いたり、たまにテレビをやったりと、複数のメディアを横断しながら作品を手がけてきました。 だからこそ、メディアの状況が日毎に悪くなっていくことは強く感じていましたし、本作を撮り続けながら、それがより鮮明に可視化されたと実感しています。 「劣化が加速しているのだ」と。 ジャーナリズムは現場性が大切です。自分の足で現場に向かい、自分の目で見て、自分の耳で声を聞く。そしてその時に自分が何を思い、感じるのか。憤りかもしれないし悲しみかもしれない。そうした思いが、記事や動画のコアにあるべきです。決してオートマチックにできる仕事ではない。 もちろん会社、或いはそこに属する社員として「部数や視聴率、アクセス数を上げたい」と考えるのは当然のことです。でも時にはそれに抗って「この報道は会社への貢献にはならないかもしれないけれど、絶対に報道すべきだ」と考え決断する瞬間も必要です。その瞬間を生み出せる精神そのものが失われているとしたら、これは深刻な事態だと考えます。 (C)「i –新聞記者ドキュメント-」 ──その一方で、誠実であり続けようとするジャーナリストたちが大衆に押し付けられる“レッテル”としての「左翼」についても触れられていました。 森:政権を監視する。これはジャーナリズムにおいて重要な使命です。なぜなら権力は必ず腐敗するし暴走する。だから欧米でメディアは「WATCH DOG(番犬)」とも呼ばれる。でも現在、政権を批判する記者や新聞社が、安倍政権の支持者たちから「左翼」とカテゴライズされて批判されるという事態になっている。 要するに、ジャーナリズムとは何かを分かっていない。アメリカはいろいろ問題がある国だけど、でも情報公開やジャーナリズムについては、やはり筋が通っていると思います。メディアが激しく政権と対峙する。映画だってそうですね。政権やメディア批判の映画を実名で、しかも完成されたエンタメとして公開する。最近でも『バイス』とか『ペ. 1956年広島県呉市生まれ。映画監督、作家、明治大学特任教授。98年にオウム真理教信者達の日常を追う. 『 A 』(エー)は、 1998年 制作の 日本 の ドキュメンタリー映画 。 オウム真理教 の 荒木浩 を中心に、社会との関わりをとらえた 。 ベルリン国際映画祭 ほか、 香港 、 釜山 、 ベイルート 、 バンクーバー など各国の映画祭で上映された 。. 映画「はりぼて」の地元上映で語る五百旗頭幸男(左)、砂沢智史(中)両監督と、応援に駆けつけた森達也監督=富山市.

監督: 森達也 1956年、広島県呉市生まれ。立教大学在学中に映画サークルに所属し、86年にテレビ番組制作会社に入社、その後にフリーとなる。. (C)「Fake」製作委員会 【日本公開】 年(日本映画) 【監督】 森達也 【キャスト】 佐村河内守、佐村河内香、森達也 【作品概要】 『A』(1998)、『A2』()といったドキュメンタリー作品を発表してきた森達也監督による、およそ15年ぶりの単独監督作。 年に、ゴーストライター騒動で話題になった作曲家・佐村河内守に密着し、それまでベールに包まれていた彼の素顔に肉薄します。 劇場公開時は、「衝撃のラスト12分」という宣伝文句も手伝い、連日観客が多数押し寄せるヒットとなりました。. 「a」(1998)の映画情報。評価レビュー 47件、映画館、動画予告編、ネタバレ感想、。 フリーのテレビディレクター森達也が、家庭用のデジタルカメラを手に、荒木浩広報副部長を中心にオウム真理教の信者達に密着取材したドキュメンタリー。. · 森 達也 a 映画 騒音おばさんを映画化した『ミセス・ノイズィ』はまるで現代版『羅生門』 嫌がらせであったのは確かだが、なぜメディアはこの程度の軽犯罪の容疑者の顔をモザイク無しでさらしたのか。映画はまさしく、実際の騒動そのままの設定だ by 森達也. まあでも確かに、メンタルに関しては強いかな。少なくとも僕よりは。 彼女は官邸会見の場に長い間通い続けているけれど、質問をしても官房長官はまともに答えない。映画をよく見ればわかるけれど、質問されている最中に、前列に座る番記者たちと目配せしてニヤニヤ笑ったりしています。彼女が質問を始めると同時に舌打ちする記者もいるそうです。僕だったら一週間も保たない。まあでもそれも、空気を読まない力が強い、といえばそれまでだけど。 いずれにしても、記者会見の場で質問し、回答に納得がいかなければさらに質問を続ける。記者ならば当たり前の行動です。ところが周囲からは白眼視される。不思議だとつくづく思います。 (C)「i –新聞記者ドキュメント-」 森 達也 a 映画 ──取材および撮影の中で、森監督が特に記憶されている望月さんの姿や言葉などはありますか。 森:やはり作中でも登場する、陸自の新弾薬庫建設に関する宮古島での住民集会での姿ですね。彼女自身に向けられてはいなかったものの、住民たちからメディアの在り方を非難された場面です。 「弾薬庫はあそこにあるじゃないか」「あなたたちは何を見ているんだ」と、メディアに携わる人間の一人として、住民たちから言葉をぶつけられた。その瞬間、恐らく彼女の中でギアがチェンジしたんじゃないかな。あの日は必死に取材していましたね。その成果は映画の中で示されています。. 同作のワールドプレミア上映が本日11月1日に東京・TOHOシネマズ 六本木ヒルズで行われ、監督の 森達也 とプロデューサーの河村光庸が出席した。.

森達也監督と笠井信輔氏 映画. The latest tweets from ^ a b 森 & 安岡, p. 森達也(映画監督・作家) - Twitter 年11月4日に森達也情報室から表記を改め森本人がつぶやいている 森達也 リアル共同幻想論 (第1回年10月22日 - 最終更新 第85回年4月10日) - DIAMOND online.

com ニュース 東京新聞社会部記者・望月衣塑子を追ったドキュメンタリー「i 新聞記者ドキュメント」の公開を. 森達也監督とテレビ局が激論 『ディストラクション・ベイビーズ』が大ヒット中の真利子監督、処女作は命懸けだった 佐村河内守の映画が異例. ドキュメンタリー by 森達也/出演 by 佐村河内守 誰にも言わないでください、衝撃のラスト12分間. 著:森 森 達也 a 映画 達也(モリ タツヤ) 1956年、広島県生まれ。映画監督、作家、明治大学特任教授。98年にオウム真理教信者達の日常を映したドキュメンタリー映画「A」を公開、ベルリン国際映画祭などに正式招待される。. (C)「Fake」製作委員会 聴覚に障害を抱えながら、ゲームソフト『バイオハザード』、『鬼武者』の音楽や、「交響曲第1番 HIROSHIMA」などの作品を発表した作曲家・佐村河内守。 年3月に放送された、作曲活動に密着したNHKのドキュメンタリー番組が大きな反響を呼んだ彼は、「現代のベートーベン」と称されることとなります。 ところが年2月、ノンフィクション作家の神山典士が、作曲家の新垣隆が18年間にわたって佐村河内のゴーストライターを務めていたことと、彼が聴覚障がい者ではないという告発記事を『週刊文春』で発表する事態に。 これを受け、佐村河内は作品が自身だけの作曲でない点については認めるも、新垣に対しては名誉毀損で訴える可能性があると語り、以降は表舞台から姿を消します。 その佐村河内に、ドキュメンタリー監督の森達也が単独インタビュー撮影を敢行。 ベールに包まれていた佐村河内と彼の妻・香への生活模様に迫るとともに、彼らを取り巻く周辺事情をも併せて映し出していきます。. 映画監督・作家 森 達也 tatsuya mori. 「佐村河内守を追った森達也の映画「fake」は何が問題なのか」の みんなの反応 3 件 匿名 /07/31 01:17 通報 これほどひどい記事は珍しい。.

^ “専任教員紹介”. · また監督・脚本作品として『身も心も』(1997)、『この国の空』()、『火口のふたり』(・キネマ旬報ベストテン・日本映画第1位)がある。 森達也/1956年、広島県出身。. 最初の実感は、やっぱり『A』ですね。 テレビから排除され、その後「映画」として撮影を続けながら、テレビの規制の強さと映画の自由さについては、あらためて実感しました。なぜならばテレビは分業です。でも映画は、特に『A』はそうだけど、まさしく一人称単数で作って発表することができる。僕にとっては、まさしく転換だったと思う。 その理由のひとつは、撮影クルーを取り上げられたので、やむなく自分でカメラを手にしたからです。フレームやアングルは現実からの切り取りです。その切り取りは自分の主観なのだと気がついた。さらに、ズームやパンなどのテクニックは、自らの感情表現でもある。本来ならもっと早く気づいておくべきでした。でも自分で撮影したからこそ、ようやく気づくことができた。 テレビ時代は「客観」或いは「公正・中立」であることを周囲から求められ続け、それが当然だと認識していました。でも『A』を撮りながら、それは幻想だと気がついた。何を撮影するかを決めた瞬間から、主観は発動しています。中立に関しても、確かに対立するAとBの中間に位置することは可能かもしれないけれど、そのAとBは誰が決めたのか。CかもしれないしDかもしれない。さらに、その位置は誰が決めるのか。つまり座標軸です。国や時代が違えば座標軸はまったく変わります。ならば絶対的な中立などありえない。 もちろん、できるだけ客観的に、あるいは可能なかぎり中立な位. 大好きな森達也監督待望の新作。 個人的には今のところ今年の日本映画で一番面白かったし印象が強い映画。.

(C)「Fake」製作委員会 本作を初めて観ようとする人の大半は、「佐村河内守は本当に嘘つきなのか」という興味を持っていると思われます。 取材当初こそ森の質問に苛立ちながら答えるも、次第に佐村河内が、本来は穏やかで理性的な口調の持ち主であることが分かります。 また、食事前には豆乳をコップに溢れんばかりに注ぎ、必ずワンパック空にするようにしたり、デザートには必ず大きなケーキが出るという、独特かつユニークな日常も明かされます。 聴覚障害や作曲能力の有無への疑惑こそ完全に消えないものの、佐村河内本人は嫌悪感を抱かせる人物でなく、さらに妻の香から献身的に尽くされる夫であることがうかがえます。 その一方で、森のカメラは佐村河内を訪ねる者たちも映します。 取材に訪れた海外メディアが「なぜ楽譜の書き方を学ぼうとしなかったのか」、「家に楽器がないのはなぜか」など、矢継ぎ早に彼に質問を浴びせます。 それらに対し佐村河内は上手く回答できず、ついには黙りこくってしまいます。 またある時には、番組プロデューサーが彼にテレビ出演を依頼しに来ます。 それを断った佐村河内に、森は後日、彼が出るやもしれなかった大晦日の特番を見せます。 そこに映っていたのは、ゴーストライターを務めていた新垣隆。 依頼時に聞いていた企画とは異なるバラエティな内容に憤る佐村河内は、自身へのバッシングを「(騙されたと思い込んでいる)全メディアの復讐だ」と語り、森に「僕を信じてくれますか?」と問います。 森は「信じなきゃ撮れない。あなたと心中する覚悟です」と即答するも、逆に「でも僕があなたに嘘をついている可能性もある」と言って、佐村河内を戸惑わせます。 わざと苛立たせるような質問をしたり、新垣出演のテレビ番組をわざわざ見せたり、信頼をぐらつかせるような言葉をわざと発したりと、至る所で佐村河内に「仕掛け」を施す森。 そして映画は、大きな「仕掛け」が待つラストへと向かいます。. ホーム > 映画ニュース > 年10月16日 > 森達也監督×望月衣塑子が迫る衝撃の“リアル”「i 新聞記者ドキュメント」予告編入手. (C)「i –新聞記者ドキュメント-」 ──現在の日本において、映画もまた力が弱まり続けているメディアの一つです。そのような“状況”の中で、森監督がドキュメンタリーひいては映画を撮り続ける理由を改めてお聞かせ願えませんか。 森:高校・大学と映研で活動を続けていた自分にとって、映画は憧れの仕事でした。 結果的にテレビの世界で仕事を始め、テレビ放送用の作品として制作していた『A』がテレビから排除されたことを機に『A』は偶然「映画」となり、僕もまた偶然「映画監督」となりました。 それでも、映画は憧れの仕事であることに変わりはありません。だからこそ未だに作品がスクリーンに上映されると嬉しいですし、映画にとっての「障害」が多々存在し、「映画の力が弱まりつつある」と指摘されたとしても、それは映画会社のトップや役員たちが悩むことで、作る僕には関係ない。大ヒットなど端から考えていませんから。自分の作品がスクリーンで上映される。それを観てくれる人たちが多少はいる。それだけで十分に幸せです。 まあでも、映画産業の末端に位置する一人としては、アイドル映画とアニメばかりが動員する日本映画の現状について、言いたいことはたくさんあります。結局は市場原理ですから、観客がそれを求めるなら仕方がない。でも悔しいな。もっともっと面白い映画はたくさん上映されているのに。そんな思いです。 僕はどんな表現形式であれ、映画では常に「ドラマ」を撮りたいと考えています。本作も当初は劇映画として制作するつもりだったんですが、様々な出来事が重なったことでドキュメンタリーという形で描くことにしました。ドキュメンタリーには多くの思い入れがありますが、こだわり自体はあまりないんです。 (C)Cinemarche ──それでは敢えてお聞きしたいのですが、森監督にとって、ドキュメンタリーとは一体何なのでしょうか。 森:ドラマとドキュメンタリーにおいて、特に作業の内実について、差異はあまりないと思っています。ただもちろん、まったく同じわけでもない。ドキュメンタリーは現実に規定されます。つまり宇宙人や平安時代を撮ることはできない。劇映画ならどちらも撮ることができる。 しかし劇映画は「自分自身のイマジネーション」に規定されます。文字通りの想定外は脚本に書けない。一方でドキュメンタリーは、常に現実に裏切られ、想定外が頻繁. 時代時代の主題に迫りつつ、背後で進行する社会の「空気」の変化を見つめ、描いてきた映画監督・森達也さん。 この国のトップが歴代最長在任期間を更新しようとするなか、森監督が新たに被写体に選んだのは、東京新聞社会部の望月衣塑子記者。2. · 超一流ドキュメンタリー映画監督の森達也氏が21日、国会内で開かれた野党合同ヒアリングに出席した。 日本学術会議の会員任命で6人の被推薦者が拒否された件で、菅義偉首相に対し「ここまで露骨にやるのか」と述べるなど、「表現の自. 森達也監督の『a』(1998年)と『a2』()は、地下鉄サリン事件後の教団と信者たちを被写体に据えたドキュメンタリー映画です。 “A”とは「オウム(Aum)」の頭文字だけでなく、当時の教団広報副部長であった「荒木浩」を指すとも考えられます。. 森達也監督の映画「fake」のラストシーンについて質問です。結局、何が衝撃なのか?佐村河内守は本当は作曲出来る能力があるという事? (佐村河内守は何らかの楽器は使えると思っていたのでこれは個人的に衝撃で.

· その模様は、上映直後の映画館の観客が観覧できるほか、YouTubeでも公開されているが、ここではそれを活字化してお届けします。今回の作品は、森達也氏以外の3人も深くかかわった若松プロダクションの青春群像劇『止められるか、俺たちを』。. 東京新聞社会部記者・望月衣塑子氏(右)と森達也監督 映画. 【公開】 年11月15日(日本映画) 【監督】 森達也 【企画・製作・エグゼクティブプロデューサー】 河村光庸 【監督補】 小松原茂幸 【音楽】 MARTIN 【キャスト】 望月衣塑子 【作品概要】 周囲から異端視されながらも徹底的な事実追及を行い、ジャーナリストとして闘いに挑み続ける東京新聞社会部記者・望月衣塑子の姿を捉える中で、現代日本における報道とメディアが抱える様々な問題点、その先に再び見えつつある民主主義の危機を描いたドキュメンタリー。 監督はオウム真理教とその信者たちの姿を捉えた『A』『A2』、佐村河内守と一連のゴーストライター騒動を題材とした『FAKE』などをはじめ、数々のドキュメンタリー映画を手がけてきた森達也。 森 達也 a 映画 本作は第32回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門にて作品賞を受賞しました。.

【連載コラム】『TIFFリポート』記事一覧はこちら 映画『i-新聞記者ドキュメント-』の作品情報 【上映】 年(日本映画) 【英題】 i-Documentary of a Journarist- 【監督】 森 達也 a 映画 森達也 【キャスト】 望月衣塑子、森達也 【作品概要】 周囲から異端視されながらも. 山形国際ドキュメンタリー映画祭、釜山国際映画祭にて話題になった森達也 綿井健陽 松林要樹 安岡卓治 共同監督作品ドキュメンタリー映画『311』公式hp. 39 森達也(作家・映画監督) 森 達也 a 映画 インタビュー”. ・菅義偉首相が日本学術会議の推薦した新会員候補者のうち、6名を任命しなかった件について、映画人有志2. (C)「i –新聞記者ドキュメント-」 ──ジャーナリズムが失われ、変化を拒むという惰性が最優先されることで、メディア及び報道が加速度的に悪化し続けている。その中で、ドキュメンタリーの在り方や機能もやはり変化していったのでしょうか。 森:強く感じているのは、この国のメディアがどんどん劣化し続けたことで、結果的にドキュメンタリーに求められる機能が、「報道されない/できない事実や情報を捕捉するメディア」という領域として見なされる傾向が強くなったこと。 新たな価値が再発見されたと考える人もいるけれど、僕は不満です。ドキュメンタリー映画は独立した作品です。マスメディアや報道を捕捉するという副次的な機能を持つメディアではないはずです。 (C)Cinemarche ──森監督にとって、その「領域」に辿り着いてしまったと実感された転換期のような事件や出来事はあるのでしょうか。 森:.

」内【レポート】森達也『僕とあなたの「後ろめたさ」――サラヤ国際ドキュメンタリー映画祭 滞在記』 Amazonリンク 『311』というタイトルの映画に賛否 被災者にカメラを向け「自分がハイエナのような自覚がありました」と監督が吐露(シネマトゥデイ). 年7月9日 閲覧。 ^ “特集vol.